コンピューター・その他

ディープ・ブルーとボナンザはどちらが強いのか

2008年2月5日

以前からこの記事を書こう書こうと思いながら月日が経ってしまい、時期を逸していたのだが、友人からディープブルーについて質問があったので、やはり書くことにした。

Deep Blueは10年前、チェスの世界チャンピオンであったカスパロフ氏に勝ったコンピューターチェスプログラム。もう一方のBonanzaは1年ほど前、渡辺竜王に善戦しながら負けたコンピューター将棋のプログラムである。

もともと、チェスのプログラムと将棋のプログラムを比較すること自体が間違っているのだが、普通に考えると、人間に勝ったディープブルーのほうが、人間に負けたボナンザより強いということになる。

だが、ここで考えたいのはそういった普通のことではなくて、もう少し込み入ったこと。ディープブルーが人間に勝ったことについて、別の見方をして一言で言うと、あれは不公平だ。IBMが開発したあのコンピューターは、実に500個以上のプロセッサを積んだ、並列処理型コンピューターである。頭脳が500個あるようなものだ。一方の人間側は、たった一人で手筋を考える。これを不公平と言わずして、なんと言うか。もしまともに勝負するのであれば、人間の側も500人(5人でも良いけれど)集めて、手分けして次の最善手を捜すようにしないと、公平な勝負とはいえない。もっとも、そんな大人数で議論して、まともにチェスができるのかどうかは別の問題。

その点、渡辺竜王とボナンザの勝負は、好感が持てた。ボナンザ側のコンピューターは、通常の卓上型パソコンだから、上で議論した意味では公平といえるかもしれない。その条件で、竜王と良い勝負をしたのだから、私は、ボナンザのほうがディープ・ブルーより強いと思う。もっとも、ディープブルーの対戦から10年以上たった今、IBMの技術者がパソコン用のチェスプログラムを書いたとすれば、それがもう一度人間に勝つ可能性はあるのだけれど。

竜王とボナンザの対局はテレビで見たけれど、あれは結構面白かった。私が思うボナンザの敗因は、『詰めろ』の概念がアルゴリズムに無いのではないかということ。ボナンザのホームページを見ると『必至』の概念はあるようだけれど、それをもう少し広い範囲で見た『詰めろ』の概念が無い、あるいは有ったとしてもそこのアルゴリズムがまずくて、それが終盤での逆転という結果になったという気がする。

詰めろは、あと一手余分にこちらがさせば、相手の玉が詰んでしまう状態を指す。詰めろをかけられた方は、それを逃れる手をさすか相手の玉を詰んでしまわない限り、負けになる。これをもう少し一般化して、『あとn手余分にこちらがさせば、相手の玉が詰んでしまう状態』を仮定して、これを『詰めろ(n)』としたらどうだろうか。『詰めろ(0)』はすでにつんでいる状態・『詰めろ(1)』は通常の詰めろで、n≧2は、それよりもさらに前の状態である。こんなことは、もうすでにプログラム済みなのかもしれないけれど…。

最後に、人間とコンピューターが公平に勝負をするためのルールの提案:人間が将棋(チェス)を指すときに消費するエネルギー量を測定し、コンピューター側もそれと同じエネルギー量だけ使えることにする。どうでしょう、米長会長?

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