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ぞうさん

2007年10月26日

最近我が家では、童謡を思い出しては歌うというのがちょっとした流行(はやりと言うも変だけれど)になっているのだが、ある日、妻が『ぞうさん』の歌を歌った。そのときに考えたこと。問題のフレーズは、以下のものである。

そうよ、母さんも長いのよ

象の鼻が長いのは、その子の母親も鼻が長いからということか。なら、どうして母親の鼻は長いのかという疑問がわくかもしれない。それは、祖母の鼻が長いから。そうやって延々と先祖をたどっていくと、どこに答えがあるのだろうか。

これは、立派に進化論的思考・あるいは哲学的思考である。子供の頭はやわらかい。そういった疑問を持つ子供がいても不思議ではない。そして、ラマルク進化論と似た結論に行き当たる子がいるかもしれない。しかしながら、そういったケースは聞いたことが無い。

このようなこと考えているうちに、妻が言った言葉が私を納得させた。

『お母さんのお母さんがおばあさんだと気が付かないんじゃない?』

たしかに、そのとおり。自分の母にも母(祖母)がいて、祖母にもまた母がいて…と気が付くには、自我の確立が必要である。そういった自我の確立を終えるころには、頭が少しばかり硬くなっているのかもしれない。

話は変わるが、よく言われる『卵が先か、鶏が先か』の答えは、ずばり『卵が先』である。少なくとも、脊椎動物が出現した後のことを考えるのであればであるが。脊椎動物出現より、もっともっと前のことを議論するのならば(元をただせば、多細胞生物出現の時?)…。どっちなんだろう?

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