コンピューターとの出会い
2009年1月5日
30年前の春。私が中学生だったころのこと。
春休みだった。春は宿題も無いので、祖母の家に遊びに行くことにした。祖母の家は、祖母と叔父夫婦・従姉妹に従兄弟が5人で暮らしている。従兄弟は私の一つ年下で、その従兄弟と遊ぶのが当初の目的であった。二人で、網を手に虫取りに出かけたり、五目並べやオセロゲームを楽しんだり、プラモデルを作ったりして遊んだ。
ある日、従兄弟が面白いものがあるから、店に行こうと言った。叔父は日立の家電販売をしていて、店は家のすぐ傍にある。その店に行こうというのだ。
彼は私を、小型テレビの前にタイプライターのようなものが置いてある場所に連れて行った。
『これ、何?』 『これ、コンピューターや。』
これが、私にとってのコンピューターとの出会いである。出会った後の記憶が強すぎて、初めてそれを目にしたときに、コンピューターとは何か、これを使えばどんなことができるのか、などの知識があったのかどうかは、まったく覚えていない。
そのタイプライター様の箱の横に、カセットデッキのようなものが置いてある。従兄弟はカセットテープを一つ取り出すと、それをそのカセットデッキにセットし、タイプライターでなにやら文字を打ち込んだのち、再生ボタンを押した。
『ピー--、ピロピロ・ピロ・ピー・ピロピロ』
なにやら電子音が鳴り出した。待つことおよそ5分。カセットデッキは自然に停止した。従兄弟が再度キーボードで何か打ち込むと、言った。
『ほんじゃ、ゲームしよか?』
その、コンピューターなるものがテレビゲームに、はや代わりしたのである。当時コンピューターゲームといえば、テニスやピンポン、風船割りなどが主流の時代(スペースインベーダーやパックマンなどが主流になるのは、少し後)。我が家にもテニスやピンポンが楽しめるゲーム機があったが、それと遜色の無いゲームがそこにあった。
実は、その後、従兄弟とコンピューターでどのように遊んだのか良く覚えていない。はっきりと覚えているのは、コンピューター本体の横に一冊の本が置いてあったこと。その本はプログラミングの入門書だったこと。そのコンピューターは、電源を入れるとすぐにプログラミング用のソフトが立ち上がったこと。その本を読みながらキーボードを叩くと、自分の思い通りにコンピューターが動いたこと。自分で作ったプログラムは、カセットテープに保存することができたこと。など等である。
初めて触れたコンピュータは、日立・ベーシックマスター。
当時の家庭用コンピュータは、プログラミング言語(ほとんどのケースで、BASIC)がすぐに使えるようになっているものがほとんどで、当然ながらプログラミングの入門書が付属していた。ベーシックマスターの場合、電源を入れると、モニターに文字が写るころには、プログラミングがすぐに開始できる状態になっていた。初めて書いたプログラムは、多分こんな感じだっただろう。
入門書に書いてある内容を一通り学び終えた後、少しばかり規模の大きいプログラムを書いたことを覚えている。名づけて、xx語(xxは、私の苗字)。これは、BASICで書かれたインタープリタだった。当時BASIC自体が素のインタープリター(JITコンパイラなど使わない)で、しかもクロックは750 kHz (MHzでは無い)であり、そのインタープリターを使って書かれた、インタープリターのプログラミング言語である。遅いのなんのって、上記のコードに相当するプログラムの実行に、30秒くらいかかったのを覚えている。もっとも、子供のころは今よりもゆっくり時間が過ぎるように感じるものだろうから、案外10秒くらいで処理できていたのかもしれないが。
それでも、変数への代入、分岐及びループ、変数と文字列の表示などは一通りできた。初めて触れたコンピューターでプログラミング言語を書いたというのは、今思えば非常に不思議である。だが、多分こういうことが、私のコンピューターに対する一番の興味なのであろう。同じようなことをその後も引き続き行っていくことになるのである。
(続く)
春休みだった。春は宿題も無いので、祖母の家に遊びに行くことにした。祖母の家は、祖母と叔父夫婦・従姉妹に従兄弟が5人で暮らしている。従兄弟は私の一つ年下で、その従兄弟と遊ぶのが当初の目的であった。二人で、網を手に虫取りに出かけたり、五目並べやオセロゲームを楽しんだり、プラモデルを作ったりして遊んだ。
ある日、従兄弟が面白いものがあるから、店に行こうと言った。叔父は日立の家電販売をしていて、店は家のすぐ傍にある。その店に行こうというのだ。
彼は私を、小型テレビの前にタイプライターのようなものが置いてある場所に連れて行った。
『これ、何?』 『これ、コンピューターや。』
これが、私にとってのコンピューターとの出会いである。出会った後の記憶が強すぎて、初めてそれを目にしたときに、コンピューターとは何か、これを使えばどんなことができるのか、などの知識があったのかどうかは、まったく覚えていない。
そのタイプライター様の箱の横に、カセットデッキのようなものが置いてある。従兄弟はカセットテープを一つ取り出すと、それをそのカセットデッキにセットし、タイプライターでなにやら文字を打ち込んだのち、再生ボタンを押した。
『ピー--、ピロピロ・ピロ・ピー・ピロピロ』
なにやら電子音が鳴り出した。待つことおよそ5分。カセットデッキは自然に停止した。従兄弟が再度キーボードで何か打ち込むと、言った。
『ほんじゃ、ゲームしよか?』
その、コンピューターなるものがテレビゲームに、はや代わりしたのである。当時コンピューターゲームといえば、テニスやピンポン、風船割りなどが主流の時代(スペースインベーダーやパックマンなどが主流になるのは、少し後)。我が家にもテニスやピンポンが楽しめるゲーム機があったが、それと遜色の無いゲームがそこにあった。
実は、その後、従兄弟とコンピューターでどのように遊んだのか良く覚えていない。はっきりと覚えているのは、コンピューター本体の横に一冊の本が置いてあったこと。その本はプログラミングの入門書だったこと。そのコンピューターは、電源を入れるとすぐにプログラミング用のソフトが立ち上がったこと。その本を読みながらキーボードを叩くと、自分の思い通りにコンピューターが動いたこと。自分で作ったプログラムは、カセットテープに保存することができたこと。など等である。
初めて触れたコンピュータは、日立・ベーシックマスター。
当時の家庭用コンピュータは、プログラミング言語(ほとんどのケースで、BASIC)がすぐに使えるようになっているものがほとんどで、当然ながらプログラミングの入門書が付属していた。ベーシックマスターの場合、電源を入れると、モニターに文字が写るころには、プログラミングがすぐに開始できる状態になっていた。初めて書いたプログラムは、多分こんな感じだっただろう。
10 PRINT "HAJIME" 20 FOR I=1 to 10 30 PRINT I 40 NEXT I 50 PRINT "OWARI" 60 END
入門書に書いてある内容を一通り学び終えた後、少しばかり規模の大きいプログラムを書いたことを覚えている。名づけて、xx語(xxは、私の苗字)。これは、BASICで書かれたインタープリタだった。当時BASIC自体が素のインタープリター(JITコンパイラなど使わない)で、しかもクロックは750 kHz (MHzでは無い)であり、そのインタープリターを使って書かれた、インタープリターのプログラミング言語である。遅いのなんのって、上記のコードに相当するプログラムの実行に、30秒くらいかかったのを覚えている。もっとも、子供のころは今よりもゆっくり時間が過ぎるように感じるものだろうから、案外10秒くらいで処理できていたのかもしれないが。
それでも、変数への代入、分岐及びループ、変数と文字列の表示などは一通りできた。初めて触れたコンピューターでプログラミング言語を書いたというのは、今思えば非常に不思議である。だが、多分こういうことが、私のコンピューターに対する一番の興味なのであろう。同じようなことをその後も引き続き行っていくことになるのである。
(続く)