放射能

放射能汚染についての生物学者としての見解

2011年4月24日

はじめに

東日本大震災に伴う、福島第一原子力発電所の事故発生から、1ヶ月以上が経っています。原発からの放射性物質の大規模な漏出はあらかた止まってはいるものの、すでに放出された放射能の量は莫大です[1-2]。すでに放出された放射能による健康被害は、少なからずあると言わざるを得ません。

以前、DNA修復に関して研究をなさっている柳田充弘先生がブログで、「わたくしは怒っている」という記事を掲載なさいました[3]。私もこのことに関して考えるところあり、また、柳田先生が指摘されている「DNA損傷修復に関わる研究者」の一人でもあります[4-5]。柳田充弘先生がこの記事をお書きになってから2週間経ちますが、その間、色々と考えていました。2週間経った今でも、意味のある情報ではないかと思いますので、考えたことをまとめてみます。私の研究分野と、関係のある事柄です。

扱う内容に関して、出来る限りの範囲で、情報の提供元を参照したいと思います。ただし、この記事は学術論文ではありませんので、専門家ではない読者の理解のため、差しさわりの無い範囲でWikipediaなどの情報をWebから引用します。こういった情報は、まれに間違った(あるいは偏った内容の)情報を含んでいることがありますが、ここで引用する限りにおいて、そういった不確実性を考慮する必要は無いような引用の仕方をしてあるつもりです。

放射線はDNA損傷を引き起こす

放射性物質(放射能)からは、さまざまな放射線が出ます。どの種類の放射性物質からどんな放射線が出るかはここでは割愛しますが、どの放射線もみなDNA損傷(遺伝子損傷)を引き起こし、このことが原因で癌になる可能性があります。これが、放射性物質の怖いところです。これは、官房長官が言う「直ちに人体に影響を及ぼす」ような問題[6]ではなく、長期的な視野の元で起こる健康上の問題です。放射線により癌になっても、それが明らかになるのは早くても半年か1年後ですし、長い場合には10年も20年も経った後に影響が出る場合もあります[7]

細胞はDNA損傷を修復する能力がある

放射線による被ばくは、今回のように原子力発電所が事故を起こした場合にのみ起こるものではありません。自然放射線といって、私達が普段生活している中でも、毎日のようにさまざまな放射線の被ばくを受けています[8]。そういった被ばくを受けているにもかかわらず、すぐに癌にならないのは、私達の体を形成している細胞にDNA損傷を修復する能力があるからです[9]。さまざまな遺伝子がDNA修復に関与していて、その結果、たとえDNAに損傷を受けても修復されるので、癌にならないのです。さらに、DNA修復によって修復し切れなかった場合に、細胞が自らの機能を止めて死細胞になる仕組みもあり[10]、これも癌化を引き起こさないメカニズムの一つです。

細胞内でのDNA損傷がうまく行かなかったときに癌化する可能性がある

細胞が持つDNA修復機能はかなりの優れもので、細胞内に数万の損傷があっても修復する能力があります[9]。しかしながら、この修復能力は完全ではなく、ごくまれにDNA損傷を修復できない場合があります。傷を修復できず、かつ、自らの機能を止めてしまう仕組みも働かなかった場合、癌化を引き起こすことがあります。

放射能による被ばくは、癌化の頻度を高める

自然放射線以外に、原発から出た放射能による被ばくがある場合は、DNA損傷が起こる頻度が高くなります。したがって、それにより癌化する頻度も、必然的に高くなります。これは完全に確率の問題であり、「少量」の放射線を浴びた場合は癌化の確率が「少し」高くなり、「多量」の放射線を浴びた場合は癌化の可能性が「非常に」高くなるわけです。したがって、そこには閾値はありません。これに付いては、かなり信用の置けるような機関(例えば放射線医学総合研究所)でも、「低い線量では放射線ががんを引き起こすという科学的な証拠は無い」などとしていますが[11]、これは明らかな間違い(あるいは紛らわしい表現)で、「低い線量では放射線ががんを引き起こすという頻度は非常に低い」とでもするべきです。

例を挙げて説明します。以下、放射線医学総合研究所による説明からの引用です[11]

被ばくした放射線量が、例えばおよそ100ミリシーベルト未満では、放射線ががんを引き起こすという科学的な証拠はありません。また100ミリシーベルトの放射線量では、わずかにがんで死亡する人の割合を高めると考えられています。日本人は元々約30%ががんで亡くなっています。仮に1000名の方が100ミリシーベルトの被ばくを受けたとすると、がんで亡くなる方が300名から305名に増加する可能性があります。

「例えばおよそ100ミリシーベルト未満では、放射線ががんを引き起こすという科学的な証拠はありません」と説明しています。しかし、例えば40ミリシーベルトの場合は「100ミリシーベルト未満」に相当しますが、「がんで亡くなる方が300名から302名に増加する可能性があります」という事になり、これはけっして「がんを引き起こすという科学的な証拠はありません」という事になりません。この部分に関する政府及びそれに類する機関のこういった見解は、間違い(あるいは間違った解釈を引き起こしやすい、非常に紛らわしい表現)です。

これと同様のことは、例えば官房長官の記者会見で「たまたま数回にわたり、そうした飲食物(放射能汚染レベルが暫定基準値を少し超えた飲食物)を口にしたことによって健康に影響を与える可能性はないというのが専門家の皆さんの認識」[12]といったような表現で説明しています。これも、「可能性はない」と言っている所を「可能性は非常に低い」とするべきものです。

どれくらいの被ばくなら許容範囲内か

では、どれくらいの程度の被ばくに注意しないといけないか(あるいは、どれくらいの程度の被ばくをさけないといけないか)というと、これはさまざまな要因を伴って、個人差のあるものです。一つは、個人の感覚によります。たとえ1万分の1の確率でも放射能で癌になるのはゴメンだという人も居るでしょう。逆に、もともと別の原因で癌になる可能性のほうが高いのだから、少々癌化のリスクがあってもかまわないという人も居るはずです。原発で働く人や医療従事者など、それによって生計を立てている人などが、これに相当する例です。

どれくらいの被ばくなら許容しても良いというかという目安としては、例えば文部科学省が出している「放射線を放出する同位元素の数量等を定める件」[13]とういうものがありますが、ここでは「放射線業務従事者」に関して次のように限度が定められています。

・5年で100ミリシーベルト
・1年で50ミリシーベルト
・女子は3ヶ月で5ミリシーベルト
・妊娠中である女子は出産までの間に1ミリシーベルト


他には、国際放射線防護委員会(ICRP)による「1年間に浴びて問題ない放射線量を平常時は1ミリシーベルト未満」というものがあります[14]。こういったことから、どれくらいの値だと安心できるかというと、1年間に1ミリシーベルト未満というのが一つの考え方だと思います。1年間に1ミリシーベルトの被ばくの場合、癌になる可能性が30%から30.005%に増えるということになります。現在政府が取っている方針である「1年間に20ミリシーベルト未満」に関してですが、1年間に20ミリシーベルトの被ばくの場合、癌になる可能性が30%から30.1%に増えます。

浴びる放射線の量を出来る限り減らしたいという考え方では、ICRPの勧告に従って1年間当たり1ミリシーベルトとするのが妥当だと思います。これは、自然放射線の線量の世界平均(年間2.4ミリシーベルト)や日本の平均(年間1.4ミリシーベルト)[15]と比べても、大きな値ではありません。他方、「放射線業務従事者」に関しては年間20ミリシーベルトが妥当だということは、今までのこの基準の運営を考えると、受け入れて良いように思います。

年齢によって放射線に対する感受性が異なる

先に挙げた放射線業務従事者の被ばく限度については、女子・および妊娠中の女子に関しては、被ばく限度が厳しく設定されています。その理由としては、生まれてくる子供を「放射線業務従事者」とみなせないことが一つですが、それ以外に、胎児が放射線に対して感受性が高いことが挙げられます[16]。このことは、年齢の違いが放射線に対する感受性の違いを生み出す、良い例です。他の例として、乳幼児はヨウ素131に感受性が高いことが知られています[17]。また、新陳代謝が活発であればあるほど放射線に感受性が高いと言えますので、若い人や幼い子供は成人よりも放射線に対する感受性が高いことになります。

成人であっても、これから子を設けようとする人は、女性であっても男性であっても、無用な放射線をなるべく浴びないほうが良いです。と言うのは、放射線は遺伝子の突然変異を引き起こすことがあるからです[18]。人の染色体は2組あるので、ほとんどの遺伝子は2つずつ存在します。これら2つの両方に変異が入らないと影響を受けない場合が多いので、例え遺伝子に変異が起きても子供に影響が出る可能性はかなり低く、配偶者の同じ遺伝子に突然変異がない場合は子供の体には影響はありません。しかし、孫やさらに先の子孫の体に影響が出る可能性もあります。一度起きた突然変異が子孫への遺伝の途中で元に戻ることはほとんどありません。

人によって放射線に対する感受性が異なる

始めのほうで、細胞にはDNAに損傷があった場合にそれを修復する仕組みがあり、さまざまな遺伝子がそれに関与していることを述べました。これらの遺伝子のうちの一つに変異(突然変異)があると、細胞のDNA修復能力が落ちることが分かっています。先天性疾患(遺伝病)のうちのいくつかは、DNA修復に関する遺伝子に変異があることが病気の原因であることが知られています。私が知っていて思いつく限りでは、次の先天性疾患がこれに相当します。

ファンコニ貧血 [19]
ブルーム症候群 [20]
ウェルナー症候群 [21]
ロスモンド・トムソン症候群 [22]
色素性乾皮症 [23]
コケイン症候群 [24]
遺伝性非腺腫性大腸癌 [25]

これらの疾患の患者の方々は、放射線に対して細心の注意を払ったほうが良いです。詳しくは、治療にあたっている医師の方に、相談してください。また、患者と血縁の方々も、患者ほどではないですが、注意した方が良いです。これは、2つある遺伝子のうち片方に変異が有る可能性が高いからです。特に、一等親血縁者の方(患者の両親、もしくは子供)は、片方の遺伝子に変異が有ります。

上記疾患の親族と同じくらい注意して欲しいのは、乳がんを発症した事のある方と、その血縁の方々です。DNA修復に関係する遺伝子について、2つあるうちの片方に変異がある可能性があります。

自身や家族・親類に上記の疾患が見られないようなケースでも、放射線に対する感受性に個人差があることは十分考えられます。例えば、上でも述べましたが、上記疾患に関係する遺伝子について、2つある遺伝子のうち片方に変異があっても発症しません。発症するのは、同じ変異を片方に持った男女が子を設け、その子が両方の遺伝子に変異を持ってしまった場合で、非常にまれです。しかしながら、これらのDNA修復に関係する遺伝子について、2つある遺伝子のうち片方だけに変異を持つ日本人は、潜在的にある一定の割合で居ます。それが100分の1なのか、1000分の1なのか、分かりません。これらの遺伝子に変異がなくとも、全然別の原因で放射線に感受性になってしまうようなケースも、存在すると思います。言える事は、感受性が低い人たちは少々の放射線を浴びてもめったに癌にはならないけれど、感受性が高い人はほんの少し放射線を浴びただけで癌になってしまう可能性が高いということです。よく言われている、「100ミリシーベルトを浴びると癌化率が0.5%増加」という値は、こういった個人差を含めた上での日本人全体での平均値だと思われます。

ではどうすれば良いのか

一番良いのは、国際放射線防護委員会(ICRP)による平常時の勧告:「1年間に浴びて問題ない放射線量を平常時は1ミリシーベルト未満」[14]を守ることです。上記で述べた特に注意しないといけない場合(妊婦、幼児を含めて若い人、遺伝子疾患の患者とその血縁者)は、これを絶対に守るべきです。

政府は事故などの緊急時における措置として、「1年間に20ミリシーベルト未満」としました。これは、「もともと原発による放射線以外の原因で癌になる率が高いのだから、放射線による癌化率の追加分が20倍上がっても構わない」 「癌化率30%と30.1%ではほとんど違いがない」といった理由によるものです。上で特に注意しないといけない場合に当てはまらなかった方々は、こういった政府の考え方が受け入れられるかどうかで決めればよいと思います。「1年間に20ミリシーベルト未満」というのは、放射線業務従事者に対する許容量と同じか、少し厳しい値です。厳しいというのは、放射線業務従事者では5年間の総放射線量で計算するのに対し、今回の政府の勧告は1年間の総放射線量で計算するからです。原発からの放射能の放出が完全に収まって、周辺地域の除染が迅速に進めば、5年間で100ミリシーベルトを浴びることはないということになります。

ただし、次のことは頭の中においておくべきでしょう。放射線業務従事者は、少量の放射線を浴びる代償として収入を得られますが、原発からの放射線を受けることになる国民には、そのような収入はありませんし、また自ら望んでその状況になったわけでもありません。それと、いくら個々人がこれにより癌になる可能性が非常に低いとしても、福島県民200万人全員が20ミリシーベルトの被ばくを受けたとすると、2000人の方が原発による被ばくで癌になる計算になります。

もう一つ気をつけたいのは、年間の許容放射線量は、普段生活しているときに浴びる放射線による外部被ばく以外に、放射能を含んだ食物を摂取することによる内部被ばくを加算した量であるということです。住居地域の空間放射線量が高いところでは食べ物の放射能量に注意し、逆に、ある程度放射能を含んだ食べ物を摂取せざるを得ないときは空間放射線量が低い地域に居住することが、年間20ミリシーベルト以下を守るためには重要です。

参考文献一覧

1. 東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故・トラブルに対するINES(国際原子力・放射線事象評価尺度)の適用について
2. 福島第一原子力発電所2号機汚染水の止水対策と海洋への流出量について
3. 生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ: わたくしは怒っている
4. RecFOR proteins load RecA protein onto gapped DNA to accelerate DNA strand exchange: a universal step of recombinational repair.
5. Reconstitution of initial steps of dsDNA break repair by the RecF pathway of E. coli.
6. 東京電力福島第一原子力発電所について
7. 「放射線 その利用とリスク」地人書館、エドワード・ポーチン著、中村尚司訳、昭和62年4月10日初版第1刷 (注:チェルノブイリ原子力発電所事故 - Wikipedia からの孫引き)
8. 自然放射線 - Wikipedia
9. DNA修復 - Wikipedia
10. アポトーシス - Wikipedia
11. 放射線被ばくに関する基礎知識 サマリー版 第1号
12. ホウレンソウ・原乳等から放射性物質が測定をされた問題について
13. 放射線を放出する同位元素の数量等を定める件
14. 国際放射線防護委員会 - Wikipedia
15. 暮らしの中の放射線 - 自然放射線の量
16. 放射線の妊婦・胎児への影響
17. 原子力事故時におけるヨウ素剤予防投与の実施体制の概要
18. 人為突然変異 - Wikipedia
19. 再生不良性貧血 - Wikipedia
20. 難病情報センター|Bloom症候群(ブルーム症候群)
21. ウェルナー症候群 - Wikipedia
22. 早老症 - Wikipedia
23. 色素性乾皮症 - Wikipedia
24. 日本コケイン症候群ネットワーク
25. 遺伝性非ポリポーシス大腸癌 - Wikipedia

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